Project Story田中組のモノづくり
東日本大震災の直後、2013年6月から施工が開始された十和田市の「教育プラザ」。
1年半もの工期を経てようやく竣工し、現在では多くの十和田市民に愛される公共施設となっています。
JV(ジョイントベンチャー)で現場監督として「教育プラザ」の建築に携わった建築部部長 田中さんに、当時の現場が抱える課題や、完成までの道のりについて伺いました。
安藤忠雄氏の建築に、 十和田市の建設業者が一丸となって挑む
十和田市民図書館の建設に、JV4社で取り組む
十和田市の中心・官庁街に面した建物となる「教育プラザ」の建設計画については、2012年に十和田市の公募を通して知りました。教育プラザは図書館機能と教育研修センターの機能を併せ持った施設として考案された十和田市の公共施設です。当時機能していた十和田市民図書館は建物の老朽化が進み1日の利用者数も少ない状態だったため、当時の図書館の隣に教育プラザを建設しようという計画で、プロポーザルの公募が出ていたのです。
この公募に対して、田中組を頭として十和田市内の建設会社4社でJV(ジョイントベンチャー)を組みました。
各建設会社で経験を積んだベテランの施工管理技師たちが各社から1名ずつ派遣され、4名で長期間に及ぶプロジェクトの現場監督を務めました。
工期は1期と2期に分けておこなわれました。1期で全体の3分の2まで作り上げ、2期ではもともとあった十和田市民図書館の蔵書などを運びこんで建物を取り壊し、その部分に増築するかたちで2期に建物を建てました。震災復興と重なって職人さんの確保が難しかったこともあり、完成まで1年半を要しましたが、最終的には関連業者を含めて何千人もの職人が教育プラザの建設に携わりました。
©Shigeo Ogawa
©Shigeo Ogawa
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課題はコンクリート
今回の教育プラザは、外壁のコンクリート打放しが特徴的でした。傾斜のついた片流れ天井で温かみのある「サンルーム」も、今回の建物の目玉といえる特徴ある部分でした。
RC造は、コンクリートをすみずみまで流し込んで角を出すのが難しいのですが、安藤氏の建築は角がきちんと尖った90度の直角でなければ許されない。さまざまな工事において、高い施工精度が常に求められる現場でした。
大きな空間に見せるための構造として、一般的には鉄筋を組んでコンクリートを流して床や屋根を作るのですが、この建物ではサンルームの屋根に強度を持たせるために大きいパイプを鉄筋代わりに埋め込み、重量を低減しつつコンクリートで固める工法での施工が必要でした。
最初図面を見たときは、この規模感でのコンクリートの打放しができるのか、想像がつきませんでした。天井の工法はわたしたちJVの施工管理技師はもちろん、十和田市内にそのような工法をおこなったことがある業者はいませんでしたし、30度の傾斜というのもかなりの急勾配です。失敗は許されないので、屋根の施工に関わる業者さんを呼んで、どのようにコンクリートを打ったらよいのかをお互いに勉強し合い、知識を共有しながら取り組みました。
同じくRC造の外壁の施工も難所でした。5mや10mもの長さのコンクリート打放しの壁を打ったことはなく、当然ですが一度では打てません。3m×3mほどのサイズで鉄筋と型枠を組み、実際にコンクリートを流しこんで模型を作って出来栄えの確認作業を行い、どうしたらきれいにできるか検討を繰り返しました。
コンクリートは生コン会社がその日に練り上げたものを使用するため、毎日少しずつ配分量や具合が違います。1枚の壁のなかでコンクリートの色が不自然に途中で変わらないよう、コンパネに割り付けを起こしてパネルの目地で区切りながらコンクリートを流しました。全体の壁を7工区に分けてスケジュールを組み、継ぎ目は7箇所にも及びましたが、多少コンクリートの色が違っても目立たないようなきれいな壁を作ることができました。
2013年から2014年の春にかけて、1期の工期中にコンクリートを打たなければならないということで、降雪対策として建築中の造作物をまるごと養生するのに想定以上の経費がかかりました。通常の工事であれば、外の工事は雪が降る前に終わらせて、冬は内装工事、と段取るのですが、震災復興の関係で職人さんが集まらなかったこともあり、工期がずれ込んでしまったのが原因でした。
コンクリートが凍らないように一定の温度に保たなければならず、建物をつくるための仮箱を設置しました。24時間暖房を焚いていたので、灯油代も1日1,000リットルにも及びました。それだけ大きな空間を暖めなければならなかったのです。
超一流とともに仕事をする難しさ、自分たちで最適解を出すことの難しさ
安藤忠雄建築研究所との仕事は、常に緊張感がありました。
工事が始まる前には、「わたしたちはこういう建物を作っているのでこの本を読んで勉強してください」と書籍をいただき、JVの技師らで集まって勉強しました。どんな大手企業であっても携わりたいと思っても携われるものではないので、この機会を自分たちにとっての大きなチャンスだと思って臨みました。
随所に細かなおさまりがあり、高い施工精度を要求されましたが、何度も勉強会を行い、施工者としての提案・意見を持ち工程を進めました。
また、建設予定の敷地内には樹齢100年の桜の樹が2本あり、その樹を移動させずに、中庭の中央に桜の樹が見えるようにする設計だったため、終始桜の樹を傷つけないように注意を払って建物の工事をしなければなりませんでした。
1期目の工期に間に合わせるため、最終的には1日あたり100~150人ほどの職人さんを投入し、人海戦術で一気に追い込んで仕上げました。何百人もの職人でひとつのものを作り上げたのは、今考えるとすごいことだったなと思います。
©Shigeo Ogawa
十和田市民図書館が、人が集う場として生まれ変わった
十和田市の秋はイベントが多く、当時はB-1グランプリや秋まつり、市民マラソン、流鏑馬、乗馬体験など、さまざまなイベントが官庁街通りを中心に開催されています。イベント時期と工事期間が被ったときには、大きな音を出さないようにと主催者側から指示を受けたり、イベントによって工事関係車両が出入りできなくなることもありました。特に流鏑馬のときは、大きな音に馬がびっくりしてしまうので気をつけてと言われました。
イベントと工事との調整にも苦労しましたが、最終的に教育プラザが竣工したときにはとにかく達成感がありました。
また、教育プラザ内の市民図書館は、従来の図書館に比べて2倍の面積。夜8時まで開館していることもあって、1日あたりの来場者数は多い時には600人にまで増えたそうです。近隣の十和田現代アート美術館に来た観光客も立ち寄るようになり、人が集う場として機能するようになったことが何よりもうれしかったです。
十和田市教育プラザで得られた経験を、社内に還元したい
田中組の看板を背負って参画した教育プラザの建築施工でしたが、初めて経験することも多々ありました。技術的な部分は現場で乗り越えることができましたが、乗り越えられたのは田中組の長年培ってきた技術と経験があったからです。今回の施工で、また新たな知識や技術、経験を得ることができました。
ここで得た学びや経験は、後輩や若手技術員社員にも伝え、今後の技術力の向上に活かして還元したいと思っています。 首都圏では安藤氏の建築というと高い精度を求められることが分かっているために施工を躊躇する業者さんも多いそうです。青森の田舎だからこそ、怖いもの知らずで「やってみよう」と十和田市の建設業者が一丸となって取り組めたことは、地域における技術のレベルアップにもつながったのではないかと思います。
田中組にとって教育プラザの施工は、技術・人員ともに随一の代表的な施工事例となりました。今後も「いい建物をつくる」ということにこだわることを、田中組のものづくりの精神として守っていきたいです。
©Shigeo Ogawa
【建築概要】教育プラザ
所在地 | 青森県十和田市西十三番地620番1ほか地内 |
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建築主 | 十和田市 |
設計・監理 | 安藤忠雄建築研究所 |
構造設計 | 金箱構造設計事務所 |
設備設計 | 森村設計 |
施工 | 【建築・外構】田中組・紺野建設・川村建設工業・平和実業JV 【電気】泉電気・沢目JV 【給排水・衛生・空調】オキタ工業・桜田設備工業JV |
敷地面積 | 9,519.46㎡ |
建築面積 | 3,407.85㎡ |
延床面積 | 3,199.04㎡ |
構造・規模 | RC造 地上1階 |
設計期間 | 2011年12月~2013年3月 |
施工期間 | 2013年6月~2015年9月 |